◇師弟不二◇
第1419-2回
2017-04-04
師弟の道
牧口先生(3) 
 <教育勅語(2)> 
 道徳の最低基準

 牧口が、父たちに向かって、「教育勅語、あれは道徳の最低基準です」と言うのを聞いた時の驚きを、少年の頭脳は覚えていたのである。なんの話題につながる話か、それはきれいに忘れたが、牧口の、この一言は消えなかった。
 
小説『人間革命』3-4巻 (145) 道程

  牧口は、当時、東京市の教育界では、一風変わった存在であった。一家言をなした彼の教育理論の実践は、識者の注目を集めていたのである。
しかし、彼の教育観は、戦前、教育の金科玉条とされた教育勅語を、「道徳の最低基準」と喝破するほど、進みすぎていた。そのため、頑迷な俗吏は、彼を白眼視していたのである。
  牧口もまた、先駆者の悲哀を感じていたにちがいない。彼の卓越した理論は、時の教育官僚の用いるところとはならなかった。それどころか、愚かな為政者たちは、この市井の先覚者を冷遇し、迫害し続けたのである。

小説『人間革命』1-2巻 (144) 地涌

 
天皇制の「教育勅語」

  日本の社会構造の面においては、古来の伝統である天皇制と家父長制が支えあいながら、ある種の家族的な一体感をかもしだすことによって、人々が″いわずもがな″″以心伝心″の絆で結びつけられてきたことがあげられます。
  明治維新が、いわゆる″無血革命″であったことも、それが西欧的な意味での″革命″ではなく、本質的にはむしろ、家族的な共同体への″回帰″であったことによるとみることができます。
  このことは、明治政府が国民を天皇の「赤子」とする天皇制イデオロギーを推進していく過程からも明らかです。その象徴が「我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ……」に始まる、有名な「教育勅語」です。
  家庭から地域、企業、国家にいたるまで、暗黙の家族的紐帯によって支えられてきた「イエ社会」。これが、よい意味でも悪い意味でも、「ソト」に対しては残虐であっても、「ウチ」と認識された狭い枠のなかでは、あらゆる社会的な破綻や歴史的な惨事を回避するクッションの役目を果たしてきたというのが、私の一つの見方です。

「20世紀の精神の教訓」ゴルバチョフ(105) 二十一世紀を担う世界宗教の条件
 2001年8月21日北陸・信越合同研修会 他
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