◇師弟不二◇
第1423回
2017-04-08
師弟不二の道
牧口先生(5) 
 <三畳の板の間の独房で軍国主義と戦いぬいた牧口先生> 
 牢獄にあって、軍国主義と徹底して戦われた牧口先生、そして戸田先生。その壮絶な戦いは、まさに王者の姿であった。
 検事の取り調べを受ける牧口先生の姿は、むしろ反対に、検事を折伏するかのような、毅然たる態度であった。当時はだれも言えなかった言葉を、決然として言い放っておられた。つまり牧口先生は、公正な論理、人間の生きる道理のうえから、正面きって堂々と主張された。過酷な審間の合間をぬって看守を折伏し、検事に「価値論」を説き、絶えず御書を拝読される日々であった。
 なんという高潔なお姿であろうか。強靭なる信仰であろうか。
 こうした偉大なる創立者を持つことは、創価学会の大いなる誇りであり、誉れである。また、いかなる権威、権力にも妥協せず、ひたすら大法流布のために行動された牧口先生の精神は、確固たる伝統精神として、今も学会に脈々と受け継がれていることを、私は確信してやまない。
 獄中にあっても、悠々たる境涯であられた牧口先生。そのご心境について、先生は、次のように記されている。(以下、書簡は『牧口常三郎全集 第十巻』第三文明社から引用)
 「信仰を一心にするのが、この頃の仕事です。それさへして居れば、何の不安もない。心一つのおき所で、地獄に居ても安全です」(昭和十九年一月十七日、家族あての手紙。ただし、「地獄」の二字は検閲で削られている)
 先生の獄舎は、独一房。むろん暖房器具など一切なく、三畳の板の間に、一枚の硬い畳が敷いてあるだけである。冬は身を切るような極寒の環境であった。
 しかも、高齢であったにもかかわらず、先生は「何の不安もない」と記されている。
 何ものにも負けない、また何ものにも崩されない「信仰の勇者」「信仰の王者」の姿が、ここにあった。
 牧口先生の絶筆となった家族あての書簡には、次のようにつづられている。
 「カントの哲学を精読して居る。百年前、及び其後の学者共が、望んで、手を着けない『価値論』を私が著はし、而かも上は法華経の信仰に結びつけ、下、数千人に実証したのを見て、自分ながら驚いて居る。これ故、三障四魔が紛起するのは当然で、経文通りです」(昭和十九年十月十三日。原文のかなは片仮名)
 現在では、当時の数千倍、数万倍の規模で、広布は進み、隆々たる発展を遂げている。障魔が競い起こるのは、御書に照らし、経文に照らして必然であり、多少のことで愚痴を言ったり、信心を動揺させるのであれば、あまりにも情けない。
 ともあれ、牧口先生の透徹した信心、不動の決意、そしてあふれんばかりの正義感と情熱を、永遠の学会精神として後世に継承していくことこそ、私どもの使命である。
1989年8月24日第一回東京総会
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