◇一人立て◇
第1426回
2017-04-14
試練を越えて凱歌の花は咲く 
<君よ 対話の春を舞いに舞いゆけ> 
 父母と
  試練の坂を
    勝ち越えて
  咲き誇りゆく
     若桜かな

 (中略)
  桜は世界に友情の花を広げてきた。
  中でもアメリカの首都ワシントンのポトマック河畔の桜は有名だ。淵源は百年以上前、“憲政の神様”尾崎行雄が東京市長の時に苗木約三千本が寄贈されたことにある。
  わがアメリカSGIの友も、ロッキー山脈を仰ぐデンバーなどで桜の植樹を重ね、多くの市民に喜ばれている。 
  世界には、“紫の桜”ジャカランダなど、桜を彷彿させる花樹がある。
  たとえば、この時節、インドでは、桜によく似たアーモンドの白い花が満開になる。
  インドの創価の友は、今や十五万人を超える“人華の園”となった。
  その原動力こそ、あくまでも「一人」を大切にする振る舞いだ。
  そして、「一人立つ」リーダーの行動である。
  それは、あのマハトマ・ガンジーが身をもって残した拡大の方程式でもあるといってよい。
  ガンジーは、どのようにして、広大なインドの民衆を糾合したのか。
  共に戦い抜いた盟友ネルーの結論は、誠に明快である。
  「ただやさしいまなざしと、おだやかな言葉と、それに何よりも身をもって自ら模範を示すことによって成しとげたのである」と。
  特別な何かで、人心をまとめたのではない。誠実一路の人間性と、率先垂範の勇気によって、民衆を結合したのである。

「一は万が母」と

 ともあれ、誰かではない、自分である。まず自分が戦いを起こす。自分が壁を破るのだ。
  「一は万が母」(御書四九八ページ)である。自身の祈りと智慧、闘魂、行動からこそ、広布の万波が生まれる。
  「一人立つ」勇気と挑戦の先に、必ず突破口は開かれていくのだ。
  日蓮仏法は「下種仏法」である。
  一言一句でも仏縁を結ぶなら、友の胸には、何があろうと消えない成仏の種子が植えられる。
  だからこそ、臆してはならない。信念をもって語り切ることだ。
  そのために悩むことは、菩薩の悩みである。全ての苦労が、仏の境涯を開いていくのである。

歴史創る新風を

 法華経化城喩品には美しい一節がある。
  「香風は萎める華を吹いて 更に新しき好き者を雨らす」(創価学会版法華経三一三ページ)――香り高い風がしぼんだ花を吹いて、さらに新しく好ましい花を降らせる――。
  新しき歴史は、新しき風とともに創られる。私たちの広布への活動においても、新しき価値創造には、常に、新鮮な風を送りゆかねばならない。
  ゆえに、青年部が大事なのだ。各地域の壮婦の励ましで、一人の男子部が、女子部、学生部が立ち上がることは、必ず、新しい花を咲かすことに通じる。目の前の一人を大事に育めば、新時代の扉は必ず開かれる。
  一人ひとりの若人が“桜梅桃李の人華”を命いっぱいに咲かせ、人間革命の輝きで社会を照らし、立正安国の花園を、わが地域・わが国土に広げていくのである。
〈随筆 永遠なれ創価の大城〉18 師弟の大桜は爛漫と 2017年4月13日 (抜粋) 
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