◆あなたに贈る日めくり人間革命◆
※今日一日このスピーチの実戦を心がけてください。
 あなたの人間革命に乾杯!
◇師弟不二◇
第0886回
2015-04-04
民衆の求めに応えよ!
 <師弟に徹せよ!求道せよ!使命を自覚せよ!> 
 池田 大通智勝仏が出現する前は、衆生は苦悩し、時代は行き詰まっていた。経文では、その閉塞状況を「冥(くら)き従り冥きに入って」(法華経280頁)と表現している。人々は闇から闇へという悪の流転を止める仏の出現を生命の奥底では求めていた。その心が表されています。
  戸田先生もよく「商売でも何でも、民衆が求めているものが広まるのです。広宣流布も民衆が今、妙法を求めているから、必ずできるのです」と言われていた。(中略)
 池田 (大通覆講の時に生命の奥深くに持った「無上の願い」)その根源的な願いを、私たちの実感できる言葉で言い換えれば、「自他ともの幸福を願う心」とでも言えようか。言ってしまえば何だ、と思うかもしれない。だれでも知っている心ですから。しかし、この心に生ききることは至難だ。煩悩、無明、欲望、エゴイズム、分断の心などが妨げるからです。
  だから、この心を生ききるには、「師」が必要なのです。そのことを、長遠の時間にわたる師弟の因縁を通して、化城喩品で教えているのではないだろうか。
  要は、ここでいう因縁とは「人間と人間の永遠の絆」のことです。決して、人間を離れたものではない。人間を外から縛るものでもない。
  反対に、弟子の自分が、自分の生命の根本にある「成仏の因」を自覚する。すなわち久遠の「本願」を思い出す。そして、その因を仏果へと育ててくれる師匠という「縁」のありがたさを自覚するこの「最高の絆」への感謝と感動が、化城喩品の心なのです。
  斉藤 天台は、仏の「一大事因縁」について「衆生に此の機有って仏を感ず故に名けて因と為す、仏機を承けて而も応ず故に名けて縁となす」(『法華文句』)と言っています。
  やはり弟子(衆生)を因、仏を縁に配しています。
  池田 そう。因と縁では当然、因が中心です。縁はそれを助けるものです。師弟の道も、弟子の自覚が中心です。弟子がどれだけ強き求道心に立つか、どれだけ強き使命感に立つか、その一念の強さに師匠が応じるのです。
  それを前提にして、仏はいかなる弟子も見捨てることなく、三世にわたって営々と化導している。教育している。慈愛を注いでいる。この大慈悲を法華経は強調していると思う。
  弟子は師匠を信じ、求める。師匠は弟子を守り、鍛える。誓いを忘れた弟子たちをも最終的には見捨てない。この最高に麗しい「人間の絆」こそ、仏法の師弟です。
 法華経の智慧 化城喩品 第七章
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