◆あなたに贈る 日めくり人間革命◆
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日めくり人間革命
◆苦難◆
第1339回
2017-01-04
難を乗り越える信心(3)
<難即安楽>
「難を乗り越える信心」とは、
「難を乗り越える祈り」であり、
「難を乗り越える唱題」である。
『御義口伝に云く妙法蓮華経を安楽に行ぜむ事末法に於て今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり』(御義口伝巻上、750頁)
ここで拝する「御義口伝」は、安楽行品についての一節です。
真の安楽とは、苦難と戦う中にこそにあるという「難即安楽」の法理を示されています。
「難」には、まず、正しい信仰ゆえに、三類の強敵から迫害を受けるという法難の次元があります。また、自身の仏の境涯を開くために、人生に生ずる困難や宿命とあえて戦うという次元があります。いずれにしても、信仰を破壊する三障四魔に打ち勝ってこそ、一生成仏も広宣流布も、成就するのです。
では「安楽」とは、どのようなことを言うのでしょうか。
天台大師は「安楽」の字義について、「安」とは「不動」、「楽」とは「心に憂悩無き」ことであると示しています。
つまり、「安」とは、何があっても揺るがない信心であり、「楽」とは、何があっても憂いなく生き抜いていける信心です。
戸田先生は、「試練の山を一つ切り抜けるたびに、成仏という、崩れることのできない境涯となっていくのである」と、一つ一つ、乗り越えていくことの大切さを教えられました。
「一つ一つ」です。信心が深まるのを待って、それから難に向かうのではありません。
難に向かっていく中で生命が磨かれ、金剛の信心が鍛え上げられるのです。『剣なんどは大火に入るれども暫くはとけず是きたへる故なり』(1169頁)と仰せの通りです。
ゆえに、どんな悩みも、そのまま御本尊に祈っていけばいい。悩みを祈りに変えて、題目を唱えれば、わが生命に、勇気がみなぎり、希望が輝き始めるではありませんか。
「難を乗り越える信心」とは、「難を乗り越える祈り」であり、「難を乗り越える唱題」の異名です。
私たちは、いかなる障魔が競い起ころうとも、強き信心で、御本尊に祈ることができます。そして、共に励ましあえる同志がいます。
したがって、学会とともに歩む人生、それ自体が、最高の「難即安楽」に人生を歩んでいることになるのです。
いたずらに難を恐れて、“ほどほどに”小さく固まって生きる――そうした臆病な姿勢では、「歓喜の中の大歓喜」は得られません。
大聖人の仏法は、消極的人生とは対極にあるといってよい。
『大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし』(1449頁)、『賢者はよろこび』(1091頁)です。
「さあ何でもこい!」「難があるからこそ、人生を大きく楽しめるんだ。多くの人を救えるんだ」という、究極の積極的人生にこそ、真実の安楽があると教えられているのです。
(つづく)
大白蓮華2016年3月号№797 難を乗り越える信心―師子王の心で挑みゆけ 35頁~45頁
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