◆あなたに贈る 日めくり人間革命◆
※今日一日このスピーチの実戦を心がけてください。
あなたの人間革命に乾杯!
日めくり人間革命
◆祈り◆
第0968回
2015-07-09
師弟誓願の祈り
<唱題は大宇宙と小宇宙の交流>
佐藤青年部長 私たち青年部は、学会精神を受け継ぎ、新たな大勝利の歴史を開きます。
その意味で、第1回は、戦いの原動力となる「祈り」について、ぜひ、おうかがいしたいと思います。
熊沢女子部長 今、本部幹部会などで、先生と一緒に唱題させていただく機会に恵まれています。「満々たる生命力と勇気がみなぎります」等と、各地の友から感謝と決意の声が寄せられています。
池田先生 題目が一切の原動力です。私も、戸田先生とよく一緒に唱題をさせていただいた。学会本部でも、先生の御自宅でも、地方の拠点でも。一回一回が宝でした。
先生の事業が一番、大変な時も、「生命力が弱っていては戦(いくさ)はできないぞ」と厳しく叱咤されて、弟子のために導師をして、祈ってくださった。
「御義口伝」には「師子吼」の意義について『師弟共に唱うる所の音声なり』(同748頁)とあります。先生と唱える題目は、まさに宇宙をも揺さぶるような「師子吼」でした。勝ち戦への轟きです。
ともあれ、「祈り」は宗教の根源です。祈りは人間にしかできない崇高な行為です。
何を、どう、祈っているのか。祈りにその人の一念が如実に現れる。私たちの祈りは、いわば、大宇宙と人間生命の小宇宙との深遠(じんのん)なる交流の儀式です。南無妙法蓮華経は、宇宙と生命を貫く根本の大法則だからです。
佐藤 人間とかけ離れた超越的な存在に、何かをしてもらおうという心根とは、まったく違いますね。
池田先生 そう。ただ拝めば叶うなどという、安直な次元ではない。
『仏法と申すは道理なり』(同1169頁)です。スポーツ部の友にも語ったことがあるけれども、真の祈りは、これ以上ないという「努力」と直結しているのです。
仏法は、人間の生命に限りない尊厳性を認めている。その生命の偉大な力を実際に開いていく仏道修行が、唱題行です。
南無妙法蓮華経の題目は、人類の潜在力を開く無限大の力を持っているのです。
熊沢 新しく活動を始めた友から、「どのように祈ったらいいのでしょうか?」と質問されることがあります。
池田先生 そんなに、難しく考えなくていいんだよ(笑い)。自分らしく、ありのままの姿で御本尊の前に端座すればいいのです。そして苦しいことも、つらいことも、そのまま祈っていけばいい。
『苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ』 (同1143頁)と教えてくださっている通りです。
佐藤 よくわかりました。今、各地で新入会の友も信心の体験をつかみ、確信を深めています。
池田先生 うれしいね。「諸法実相抄」では、『皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり』(同1360頁)と言われています。題目を唱えられるということ、それ自体が、いかに深い宿縁であるか。
大聖人は『日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか』(同頁)とも仰せです。広宣流布に生き、題目を唱えゆく青年は、皆、最も尊極な地涌の菩薩なのです。
佐藤 学会とともに、広布に進む決意をもって唱える題目が、地涌の菩薩の「誓願の題目」なのですね。
池田先生は「本当の決意を込めた題目をあげよ! 題目は利剣である。題目は宝刀である。題目で勝つのだ!」との戸田先生のご指導を教えてくださいました。
池田先生 友の幸福を願い、広宣流布を願って題目をあげていく。学会活動をし、折伏に挑戦していく。それ自体が、立派な「誓願の祈り」であり、「誓願の実践」なのです。
地涌の菩薩は、法華経の涌出品で大地の底から現れ、末法における広宣流布を誓願した。私たちは、その誓願のままに創価学会員として生まれ、戦っているのです。
「いえ、そんなことを誓った覚えはありません」と言うかもしれない(笑い)。でも仏法の眼(まなこ)から見れば、また生命の因果から見れば、厳粛なる真実なのです。
御書と青年(2010.1.25付聖教)
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