◆あなたに贈る 日めくり人間革命◆
※今日一日このスピーチの実戦を心がけてください。
 あなたの人間革命に乾杯!
日めくり人間革命
◆こころ◆
第0891回
2015-04-11
日々唱題し、みずからを照らし、境涯を深めよ!

 <己心の「仏界」が強まれば、他の人の「仏界」も確信できる>
 かつて私はこう記した。
 「昼は太陽と共に謳いながら 生命を燃やそう 夜は静かな月光の道で 友の休むのを待って自分という人間を考えよう」と。
 多くの詩人や歌人が月をとおして人生を詠み、それはまた日本人、東洋人の、一つの精神史をつづってきた。いわば月は、心を映す鏡である。古来、人々は月に思いを託し、月と語り、月にわが人生を映して、心の内を見つめてきたのである。
 人は“自分を見つめる”ことを忘れたとき、必ず進歩がなくなる。また、自分を見つめない人は、人間的な深みも魅力も出てこないし、最後は枯渇せざるをえない。
 だからといって、ただ自分を見つめてばかりいて行動のない人には、前進も成長もない。大切なことは、実践のなかで自分を凝視しつつ、そこで深められた精神を、さらなる価値創造へのバネとしていくことである。
 その意味で私どもは日々、御本尊に向かい、唱題することによってみずからを照らし、境涯を深めながら、限りなく前進していくことができる。これほど偉大な世界はないし、価値ある人生はない。
 大聖人は妙一女に『御身は忽に五障の雲晴れて寂光の覚月を詠め給うべし』(御書1262頁)――あなたは、たちまちに五障の雲が晴れて寂光の覚月をながめられることでしょう――とのお手紙をしたためられている。
 五障とは、爾前経において、女人は①梵天②帝釈③魔王④転輪聖王⑤仏の、どれにもなれない、とされた五つの障りのことである。しかし、たとえそのような身であっても、三大秘法の御本尊に真剣に題目を唱えるならば、「寂光の覚月」をながめられる自分になっていく。すなわち、仏界の悟りの知恵が輝いていく。
 己心の「仏界」の満月に照らされた、その「知恵」の光は自身を見つめさせ、同時に他の人をも導く根源の力となる。そして自身を照らす光が強ければ強いほど、他人への洞察や尊敬が深くなり、慈愛も深まっていく。指導の力も深まる。
 「守護国家論」の中で、大聖人は『内心の仏界を知らざれば外の諸仏も顕われず』(御書67頁)――自身の仏界を知らないうちは、外の諸仏も姿を顕さない――と述べられている。
 この御文は「十界互具」の意義を説かれたものである。また、私どもの信心の一念についても重要な示唆をあたえてくださっていると拝する。すなわち、己心の「仏界」の光が強まれば強まるほど、他の人の「仏界」も確信できる。本来、仏であるという本源的な尊敬の念が起こってくるのである。
 反対に、権威をカサに仏子を見くだし、“我尊し”と威張っている人間は、それ自体、己心の仏界を現じていない証拠である。
 当然、「自分を見つめる」力もない。成長も止まる。堕落が始まる。人からも信用されない。そして表には立派そうに振る舞いながら、なかには裏で学会を利用しようと策動する者さえ出てくる。まことに“偽りの精神生活”である。それが、責任ある立場にありながら退転し、反逆した人間の正体でもあった。
 信心の世界は全部「自分」の内実がどうかが根本である。表面的な“組織の論理”で決まるのではない。
 大切なのは、いわゆる話のうまさでも、多くの人を動かしていく立場でもない。どこまでも信心である。一個の人間として、信仰者として偉大なる境涯を開いていくことである。それが自身の成仏を決定していく。また実質的に広宣流布を進めていくのである。この原理・原則を、私は厳然と言い残しておきたい。
1989.9.15第二十一回本部幹部会
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